いつも正美堂時計店(ショウビドウ)をご覧いただき 誠にありがとうございます。 https://www.youtube.com/user/syohbido0512
ウォッチバイヤー 専務こと合田圭四郎です。
Thank you for watching.
今週の時計に関する日曜日勉強会は
「なぜ19セイコーが人気なのか?」
こちらの歴史についてお話をしていきたいと思います。
「なぜ19セイコーが人気なのか?」
セイコー社が作った日本を代表する働く時計である19セイコー。
こちらの年表(歴史)についてお話をしていきたいと思います。
今はインターネットが普及しておりますが、それでも
情報量が少ない19セイコーのですけれども、
自分なりに色々調べて図書館に行き、持ち出し禁止の精工舎史話など
読みながら情報などを少しずつ収集してきました。
同年代で既に腕時計でローレルなど色々あったりしましたが、
今回そちらは置いておいて、19セイコーに絞ってお話をします。
ぜひ最後までご覧ください。
昭和4年~昭和8年の歴史
19セイコーは昭和4年に誕生したわけなんですが、それまではウォルサムであったり
外国の鉄道時計を日本の国鉄というのは使用しておりました。
昭和4年にセイコー社が国産の鉄道時計を4月に発売し、11月から国鉄の鉄道時計として
正式に使用され始めるわけなんですけど、徐々にモデルチェンジを行いながら進化しております。
昭和46年までの19型に絞ってお話をしておりますので
徐々にこの歴史を遡っていきたいと思います。
<昭和4年(1929年)>
この時に19型ムーブメントを搭載した初の鉄道時計を発売しております。
同年11月、当時の鉄道大臣より鉄道時計の指定を受けます。
ということで正式に国産の鉄道時計として認可されました。
<昭和5年(1930年)>
電話交換機用時計が発売されてます。
電話交換機用時計についてですが、
現在は電話をかけるとダイレクトに相手に繋がります。
電話をかけるときはスマートフォンや携帯でもいいんですけども
相手にダイレクトに通じますが、この時代はそういうわけではなく、
「電電公社」に電話をかけて「〇〇さんに電話したいんですが」という風にして電話を繋いでもらうんです。
その際、その電話を「交換手」という方が電話を引き継ぐわけなんですけれども、交換手が引き継いだ電話で電話料金をはかる為に作られたのが19セイコーとなります。
<昭和8年(1933年)>
日本軍に93式飛行時計が採用されます。
この時からもう既に戦火が切って落とされておりますので戦争に突入しているときです。
ちなみにこの93式飛行時計というものは零戦などのコックピットなどにあった時計で懐中時計用としてではなく、コックピットウォッチとしてメーターのような感じで置いてるんですね。
通常であれば12時位置には何もなくて
6時位置にスモールセコンド(秒針)がある19セイコーなんですが、
この時ばかりは逆で12時位置にスモールセコンド(秒針)、
そして6時方向にリューズが配置される仕様となっています。
正面からカリガリリューズを巻くタイプなんで少し違う構造にはなっているんですけども、こういう風にして軍用に開発されました。
昭和14年~昭和20年の歴史
<昭和14年(1939年)>
盲人用時計というのは製造されています。
目が見えない、目の不自由な方が使う時計で、触って時刻を知ることはできるものです。
つまり触れられる針がかなり頑丈でないと時間が狂ってしまいやすいということで
結構技術がいるもので、この19型が使用されておりました。
<昭和15年(1940年)>
この時に100式飛行時計が採用されています。
先ほどの93式と何が違うかというとセンターセコンドに変わってます。
こちらの方は太平洋戦争に使われてたようです。
終戦後にはこちら一部は懐中時計としてケースを入れ替えて残っております。
100式の時計になります。
ちなみに100式はセンターセコンドが主流なんですが
こちらはセンターセコンド仕様だったものを正美堂時計店でカスタムし、
ムーブメント自体を全部入れ替えております。
中身自体はですね15石の機械に入れ替えており、シースルーバック仕様にし、
その当時ではありえなかったスペックに変更しております。
秒針は外しております。
ちなみにこの文字盤に使われているのは「ルミノバ」ではありません。
現行は「ルミノバ」ですが、当時は「ラジウム」というものを使っておりました。
ルミノバと同じく明るいところで光を蓄え、暗いところで光るという仕組みになってます。
光を消してみましょう、こんな感じですね。
よくラジウム自体は放射性物質ですから人体に悪影響があると言われてるんですが、
その通り、これで被爆していた人はいます。
確かに被爆はする物質ではありますが、
このラジウムを文字盤に塗布する際に、筆を舌で舐めた上でラジウムをつけて塗る。そして筆を舐めてまた塗るというのを繰り返していた為、実際にラジウムが口から体内に入っていたので被爆したという風に言われています。
なので通常、このラジウムを使った時計は持っていても被爆するものではないので全然安心して使っていただけます。
<昭和19年(1944年)>
恩賜の時計として使用されています。
この時は銀のケースなど少し豪勢な仕様になり、小説家でも有名な三島由紀夫さんが拝受してます。
成績優秀で卒業されるなど、そういった方にこの恩賜の時計が配布されておりました。
<昭和20年(1945年)>
太平洋戦争がが終結した年、この時に初めて軍需工場から解放されます。
これまでは第一次世界大戦が開始してから戦争で使われる
軍事用のものとして、精工舎の工場が使われてるんですけども、
やっとここで戦争終わったことで工場が解放されます。
やっと時計の製造がまた開始されるかと思いきや、
事業再建したのはいいんですけど、第二精工舎というのがありまして
これがいわゆる亀戸(かめいど)工場というところですが、
戦後で壊滅状態となり、ほぼ生産というのは行うことが出来ず、
3年後の昭和23年あたりまで桐生(きりゅう)工場で製造がされております。
工場が若干変わったことによって、多少ではありますが時計の仕様に変更があったと言われてます。
これ今でも昔のヴィンテージの時計なんか触ってるとパーツ微妙に違っていたります。
昭和27年~昭和34年の歴史
<昭和27年(1952年)>
この時に琺瑯(ホーロー)ダイヤルというのが1年間限定で採用されています。
琺瑯ダイヤルは何かと言いますと割れ物ですね。
サンプルの方をお見せしたいと思います。
戦時中に使われていたという時計です。
ミリタリーウォッチらしく、
外周はですね1時から12時まであるんですけれども
内周の方はですね
13時からに24時とミリタリータイムを表示するものなんですが
実はこちらの文字盤は琺瑯ダイヤルなんですね。
4時方向にクラックが入っております。
昔のものというこの割れ物が使われたりしておりました。
これはもうすでに割れてしまってもので、元の姿に戻すことはできないですが、
こういう風に今回歴史を遡る為、ご用意しました。
こちらですね戦時中に使われていたと言われる時計であります。
ここからが現代のものに近づいてきます。
<昭和30年(1955年)>
スモールセコンド上部にセコンドセッティング(秒針規制装置)がついたものが文字盤に表記されるようになります。
<昭和32年(1957年)>
切れないゼンマイと言われている「DIAFLEX(ダイヤフレックス)」を採用となっております。
切れないゼンマイという風に言われても、正直、全く切れないわけではないですが、
それほど頑丈さが売りだったものです。
<昭和34年(1959年)>
この時にローマ字で「SEIKOSHA」と書かれていたのですが、このときから現代と一緒の「SEIKO」の表記に変わったということになります。
前後しますが
こちらは「SEIKOSHA」の表記があり、セコンドセッティングがついたものが先なんですけれども、ロゴが「SEIKO」に変わっております。
昭和34年のものになりますが、
このように表記が変わりました。
「SEIKOSHA」から「SEIKO」に変わり、セコンドセッティングはこちらは入っております。
秒針停止装置と言われる精工舎独自のものが付け加えられるようになっております。
昭和35年~昭和46年の歴史
<昭和35年(1960年)>
初めて15石ムーブメントが誕生ということでこちらも国鉄に採用されることが決まります。
こちらが昭和36年のタイプになるんですけれども
15石に既になっておりますので、「SEIKO PRECISION(セイコープレシジョン)」と表記されています。
そして6時方向にはセコンドセッティングと切れないゼンマイと呼ばれるダイヤフレックスの表記に変わりました。
このように徐々に進化してるんですね。
ブルースチール針がまた美しいです。
こちらは昭和35年から37年まで作られた時計です。
<昭和38年(1963年)>
ケースが若干変更になりました。それまでは楕円形であった環(カン)が現行と同じ丸型に変更されます。
ほぼ同時期ですが、前は少し色が入っていた文字盤で、スモールセコンドがシルバーカラーだったものから、現行と同じ真っ白の文字盤・スモールセコンドへと変更されることになります。
昭和38年の国鉄モデルとなります。
ここからモデルチェンジがされまして、現行と同じ丸カンになっています。
古いタイプがこの楕円形で、新しいタイプが丸カンとなります。
まだこの時は針がブルースチールが使われております。
ですが文字盤も白文字盤に変わりました。
<昭和43年(1968年)>
それまではブルースチールの針を使ってたんですけどもブラックカラーの針になりました。
裏面はですねコート・ド・ジュネーブの美しい縦縞模様が見えるムーブメントが、この年からマットな仕上げになります。
特に装飾の無いマットな仕上げのムーヴメントに変更されます。
こちらが最終型のタイプです。
丸カンで白文字盤なんですが、針がブラックに変わってきました。
もうこうなってくると現行のものとかな近いです。
また針がブラックになることで、より視認性をアップした部分もあるというプラスな捉え方もあります。
↑ちなみに昭和38年のタイプはこのように縦縞模様が美しい仕上げ。
↑こちらの黒の最終タイプなんですけれども
ムーブメントはマットな仕上げとなっております。
これはこれで見るとかっこいいのかなと思います。
今こちら下に「SEIKOSHA」となってるんですが、
これは最初の辺りで、後の方はまた表記の方が91ムーブメントの表記なども出たりして、
最終は変わっております。
↑並べてみると徐々に徐々にですが進化してきたのが分かります。
<昭和46年(1971年)11月>
長年続いていた19型ムーブメントが製造終了されるということで
19セイコーとしては一旦ここで歴史は打ち切られる形となります。
正美堂時計店の19セイコーカスタムモデル!
この歴史とは少し関係ないですが、
正美堂時計店ではこの19セイコーのカスタムモデルなど作っております。
こちらは再メッキして綺麗に仕上げたタイプのものになります。
ブルースチール針の仕様ですね。
メッキ掛けし直してるので新品同様までにはいかないんですが、
より新品に近い感覚で使っていただけるように加工してあります。
もちろん組み立ても正美堂時計店で行っておりますので
アフターメンテナンスもお任せください。
もう一つがこちら。
再メッキはしていないですが、こちらも独自の加工しまして
シースルーバック仕様にしております。
やっぱり19セイコーと言えばこのムーブの美しさがポイントなので
本来は蓋の内側で見えないものなんですけれども、
せっかくなのでこの美しさも堪能して頂こうと躍動感あるムーブメントを見て頂きたいがために、このにカスタムモデルなんかも作っております。
いかがでしたでしょうか?
このように19セイコーと言いましても、年代別に徐々に表情も含めて変わってきております。
ここから3針ムーブメントに変わりまして、いわゆる腕時計用の機械に変わった後
クォーツ時計に変わり現在に至るとことになるんですが
ほんと極端なところは変わらず、例えばの数字の書体で行ったりとか
そういったところは極端に変わることはなく、何十年もかけて現代まで残ってきております。
この19セイコーなんですけども
僕もやはりこの19セイコー、かなり魅了されまして・・・
当時はよく言われたら給料2か月分と言われたぐらい。
やはりそれなりの高価な時計だったと思うんですけども、
スペックが高い。先ほどいいましたブルースチール針こういった高価なもの。
なぜブルースチール針が高価と言いますと、
この針は手間暇かけて焼かなければ、このようにキレイなブルーカラーにできないんです。
そういったことが普通にされているのは、この19セイコーの魅力かなと思います。
今ではハイクラスのブランドなどでこういった仕様の物あったりするんですけど、
19セイコーはゴロゴロとまだまだあります・・
保存状態によりだいぶ劣化具合が変わってきますので
もちろん劣化しているものはかなり劣化しているんですが、
正美堂時計店では厳選した19セイコーを販売しております。
是非、オンラインサイトの方もご覧いただければと思います。
またですね、
先日昭和34年の19セイコー懐中時計、お買い上げのお客様ありがとうございました!
元々、昭和35年以降お勧めしてはいるんですが、結構リクエストをいただくことがありまして
昭和34年生まれの方に送りたい!など、そういったこだわりを持たれてくださる方も
いらっしゃいますので、お探しももちろんさせていただきますし、
もしそのもの自体が結構古い場合は、例えば15石のムーブメントに乗せ換えて
安心の品質でお届けなんてこともカスタムを承っておりますので
ご希望あればぜひお問い合わせください。
それでは今回動画は以上となります。ご視聴ありがとうございました。
正美堂時計店 ウォッチバイヤー兼時計修理三級技能士 合田圭四郎
主な専門分野
腕時計や懐中時計の仕入れ、販売、オリジナルウォッチのデザインや組み立て。スイスで開催されていた世界の見本市バーゼルワールドや香港ウォッチフェアーなど国内外の展示会への参加。秋葉原にて毎年懐中時計の展示会を開催
時計知識を深めお客様に時計の魅力をお伝えするため、2009年より毎週日曜日YouTubeにて時計に関する勉強会動画を配信。
背景
1979年、高知県高知市の老舗呉服屋の四男として誕生。時計好きが高じて2006年より正美堂時計店に入社。フライトジャケットやジーンズなどアメカジ、バイクをこよなく愛する。あらゆるお客様の環境を理解するため、腕時計は常に左右両方に着用。2019年、正美堂時計店創業50周年の節目の年に正美堂オリジナルウォッチを開発。
●正美堂時計店●
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