19セイコーの魅力

激動の昭和を過ごした19セイコーの魅力

戦争や高度成長期など激動の時代であった昭和。現代では当たり前に使われているが、鉄道も大きく成長した産業の一つと言えるでしょう。今でもその正確さが世界でもトップクラスの日本の鉄道。もちろん成長の影には先人の血の滲むほどの努力は言うまでもないものの、鉄道時計もまた欠かせない存在といっても過言ではありません。

鉄道時計はなぜ誕生したのか?その歴史は1891年にアメリカ、オハイオ州キプトンで起きた「キプトンの悲劇」から由来します。列車が正面衝突し多くの死傷者を出したた痛ましい事故で、機関士が所有していた時計が4分ずれていた事が原因と言われています。

精度、視認性や大きさに基準が設けられ、以来基準を満たしたものが鉄道時計として使われるようになりました。日本の鉄道時計も例外ではなく、海外製のウォルサムなどを鉄道時計として使用していたのです。

精工舎(現セイコー)が開発し、昭和4年に当時の鉄道大臣により採用が決定された国産初の鉄道時計。19型のムーブメントを用いていることから19セイコーの名前で現在も親しまれてます。

昭和9(1934)年には15石が存在した歴史はあるものの、それまでは7石が主流で一時は戦争のため軍需で銃器の製造に切り替わっていた精工舎。終戦後の昭和20(1945)年には時計の生産を復活し、昭和46年11月に終了するまで生産されたロングセラーモデルの19セイコー。

その品質の高さは鉄道業界にとどまらず、電電公社(現NTT)では交換手が通話時間を計測するための時計、戦時中には零戦のコックピット内に設置されていた飛行時計など、激動の昭和で多くの活躍を収める。

鉄道時計としては現行のクォーツへ進化したが、昭和時代に19セイコーが存在していなければ今の鉄道時計もなかったかもしれません。

日本製初の鉄道時計に認定された19セイコー、最終モデルから半世紀以上経過した現在も人気が高く、最近では同い年の時計をご依頼いただくことが多くなりました。

年代により徐々に違いがある19セイコーは、同じ用に見えてたくさん種類が存在する魅力的な、日本を代表する働く時計なのです。

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